一人の力

一人の力

「もっと孤独であることを教えないと日本はつぶれますよ」

みたいなことをどこかの偉い日本人が言っていたけれどこれはある面で事実だよなぁと思う。というのは、先日ある指名手配犯が捕まっていたけれど、その彼が入っていた宗教に限らず、宗教団体にはまってしまう人がよく「こんなに親切にされたのは初めてだった。いい人たちだと思った」「ちょっと違うなと思うことはあったけれど他に居場所がなかったから抜けられなかった」みたいなことを言っていて「あらー」と思ったからで、だってそうでしょう。別に居場所なんてなければつくればいいわけだし、そう簡単に作れなかったら(そういうことはままあるだろうけれど)、ないならないでいいではないか。「職場で居場所がない」とかいう人もいるけれど、その会社に籍を置いて仕事をもらっている時点で居場所はあるんじゃないか。精神的に居場所がないというが、そんな目に見えないもの気にしなければいい。でもそういう風に思えない人は多いんだろう。

会社の先輩、と言っても20近く年上の先輩なのだが、その人のお友達のお嬢さんが大学で宗教にハマって家族が心配しているらしい。なんでも真面目すぎるくらい真面目なお嬢さんで、あんまり生真面目なので高校の時は、いじめられているとまではいかなかったが、なかなか気があう人がいなかったという。それが大学で友達ができたとかで楽しそうなので、先輩の友達はよかった、と思っていたそうなのだが、休みになってもまったく帰ってこないし心配しはじめた。で、詳しく話を聞いてみると、なんだか仏教系の、でもわりと強引な感じの宗教団体にサークルを通じて入ったということがわかった。先輩の友達はあまり宗教にはなじみがないし、あんまり入れ込むのもどうか、とたしなめたらしいけれど猛反発を食らって、今では親の電話にも出ないそうだ。ちなみにそのお嬢さんのお父さん、先輩の友達の旦那さんは怒っていて、やめないようなら学費や仕送りをやめると言っているらしいが、お嬢さんはそれでもかまわないと意地を張っているらしい。

そのお嬢さんがサークルにハマっている理由が孤独かどうかはわからないが、でも仲間がいる、というのも理由の一つなんじゃないかと思ってしまう。

孤独。孤独ねぇ。そんなに悪いものだろうか。

ナポリタンの地元ルール

よその土地で暮すことなく、生まれ育った土地似留まっていると、常識と思い込んでいるようなことが他ではまったく通用しないってことがよくあります。常識と思い込んでいるというか、もう当たり前すぎてそれが常識だとかなんだとか考えることもしない……そんな感じです。

私の住んでいる名古屋では、喫茶店などで「ナポリタン」を注文すると熱々の鉄板に乗ってきます。パスタ麺の下には玉子が敷かれていて、その玉子と麺が鉄板の上でくっついて、それが何とも言えず美味しいんですよ?!特別な料理ではないですが、なつかしの庶民の味です。

つい先日、そんなナポリタンの話を友達としていると、その中の一人の関東出身の友達が「鉄板とか変だよね?」っていうのでビックリ!「え?鉄板って変なの?」「変っていうか、名古屋だけじゃないの?普通に東京ではお皿にのってくるし」と友人。

お皿!!!

鉄板じゃなかったら何に乗ってくるの?なんておもってしまいましたが、普通に考えれば普通にお皿にのってきますよね……。

「じゃあ、玉子は下に敷いてないの?」「敷いてない」

「ナポリタンじゃないじゃん!」と名古屋出身の一同の声が揃った!

まあそもそも、ナポリの人が日本のナポリタンを見たら「ふざけるな?」という次元でしょうし、私たちだって「それってお寿司なの……?」とつっこみたくなるような不思議アレンジのものを海外で見ますからそれと同じことなんですよね。

とはいっても、本当に、これが名古屋だけなんて考えたこともなかった。きっと、東京なんかでナポリタンを頼んでお皿ででてきたら「このお店のナポリタンはかわってるな?」ぐらいで地域のせいではなくて店のせいにしておわっていたと思います。

ちなみに、家にナポリタン用の鉄板プレートがあるお家もこの地域では多いと思います。もちろんわが家にもありますよ?。最近つかっていませんが、子どもの頃はこれで母がナポリタンをつくってくれるのが本当に好きだったんです。そうだ、あの頃はウインナーも真っ赤だった……(笑)。

「ナポリタンは鉄板プレートで」……オバサンになるまで知らなかった名古屋だけの常識。こういうことって、きっと他にもたくさーんあるんでしょうね!